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Twitterより真面目な話をしたりしなかったりします

刑事弁護について

はいお久しぶやりん

 

何も勉強していなかったので半年ぶりの更新です

 

前回の記事の後成績発表があって、必修は全部取り終えることができました✌️

んで残り楽そうなの取って後期遊びまくりてェ〜って事で、一年生向けの「法曹の仕事を知る」って授業を取りました。取りましたっつってももう学期終わるけどな!

これ、毎回異なる分野で活躍する法曹(裁判官とか検察官とか弁護士)を一人ずつ呼んで、自分の仕事内容を紹介してもらうって内容なんですが、色んな人の色んな体験談が聞けて面白い。やっぱ理論より実務ですわ

 

で、先日の担当が専ら刑事事件の弁護人を務める弁護士でして、ちょっとそのことについて書こうかなと。

どうでもいいけどこの先生とたまたま同郷だったんすよ。しかも福井出身の人いる?って挙手求めるまでしたからスッ…って今までの大学の授業で一番凛々しく挙手した

 

 

民事事件と刑事事件の弁護士の役割

さて、"弁護士"といって最初に思い浮かべるイメージは刑事事件の弁護人という方が多いかもしれません。

 

民事裁判は当事者同士のケンカがこじれたようなもんです。弁護士の役割はあくまで"代理人"として、依頼人の相手に対する主張を法的に構成して代弁することです。なので民事訴訟は別に弁護士付けなくてもできます。

 

一方、刑事裁判における弁護士の役割は"弁護人"として、被告人(犯罪の疑いをかけられ起訴された人)が無罪である、あるいは罪を軽くすべき、という方向で検察側(起訴した側)と闘います。一定以上の求刑の裁判は被告人に弁護人を付けなければ開けません。

 

ちょっと補足をしますと、本当は「推定無罪の原則」というのがあって、被告人(容疑者)は裁判で刑が確定するまでは犯罪者として扱ってはいけないとされています。でも世間では容疑者として報道されればもう犯罪者扱いになってしまいますよね。

しかしこれは無理もない話で、というのも実際、日本では起訴された場合99.9%の確率で裁判でも有罪になるので、容疑者=犯罪者 という等式が実態とかけ離れているとは言えないからです。

 

 

刑事弁護の意義

便宜上容疑者が犯人だったと仮定して、じゃあ何故殺人鬼や放火魔の味方をするのか。

人を殺したんだから自分も死ねよと。極端なものなら、いや悪人にはもっとあらゆる苦痛を与えた後に殺すべきだ、ギリシャ式処刑法を999種すべて与えようと。

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そういう意見を言う人が常に少なからずいるわけです。

まぁそこまでじゃないにしろ、自分が被害者の親とか恋人だった場合を想像すれば、加害者の弁護人に対してあまりいい心象は持てないという気持ちはよく分かります。

 

僕も小学校1年か2年くらいの頃、親が弁護士だと知った友達から

「弁護士って悪い人の味方するんでしょ?なんで?」

と聞かれた事があります。

当時何て答えたか覚えてないんですが、そう聞かれた記憶が今でも残っているのは何か思うところがあったんだと思います。

 

でも当時も今もこの感想自体は否定できないです。

 

ちょっと横道にそれますけど

ちょうどこの前「99.9」っていう刑事ドラマがやってたみたいですが、弁護士が活躍する刑事ドラマの容疑者って絶対無罪なんですよね。「99.9」も、被告人が本当は無罪なのに死刑判決を出されて、それを弁護人が反証を見つけてきて真犯人見つけて判決ひっくり返してハッピー☺️という流れらしい。

いや確かにカッケーよ。その弁護士は確かにかっこいい。このシナリオなら観てる人も弁護士を応援するでしょう。被告人が犯罪を犯してないと分かって観てるからです。正義が勝ってスッキリするからドラマになるんだしこれを見て弁護士を志す人も少なからずいるでしょうが、でも実際はそんな裁判まずないですわな。

 

なぜなら基本的には検察も「絶対に有罪にできる」と確信した事件だけ起訴するので、冤罪なんてケースはそう多くないですし、逆に本人も犯罪を認めてる場合の方が多いまであるからです。そんな場合でも弁護人は弁護活動を行うわけですので、「犯罪者の味方ではない」とはちょっと断言できない。だから先ほどの僕の同級生の感想は至極まっとうなんですよね。

 

 

それでもやっぱり僕はこれが必要な仕事だと思うしかっこいいと思う

僕は実務経験は無いですし意見は様々だと思うんですが、色んな人の話を聞いて色々考えて、やっぱ刑事弁護は絶対必要だと考える理由を15年の時を超えて同級生に贈るゾ

 

 

まず冤罪の防止。これはもちろん重要ですし一般の理解も得られる理由でしょう。痴漢冤罪とか怖いですよね〜。無実の人が裁かれるのは流石に人権侵害が過ぎる。たださっき言ったように完全な冤罪で無罪になるって例は滅多にないです。それでもあると取り返しがつかないですから、ちょっとでも疑義があればどれだけ非難を浴びようとやはり無実を主張せねばなりません。

 

次に権力の抑制。求刑してくる検察庁は国家なんですよね。相手が国家なのに対してこっちが被告人個人ってのは力の差がおかしい。何もわからないでいると権力を笠に着てやりたい放題やられます。証拠も求刑も検察側が提出したものが採用され、その真偽是非に誰も疑いを差し挟まないとなれば裁判する意味がない。弁護人が権力濫用に歯止めをかけ、被告人の人権が侵害されないよう監督する必要があります。

 

最後に心の支えです。上述のように起訴されて報道までされたら犯罪やってようがやってまいがもう世の中全員敵みたいなもんです。いやそんな事はないですけど近しい人よりも全く知らん大勢にdisられます。

犯罪者だからここぞとばかりに寄ってたかって叩いて、それで自業自得やろ?と言うのは完全にイジメの本質ですよ。加害者叩いて被害者が救われるわけでもなし。でもみんなイジメが好きだからこれは無くならん。そこでただ一人味方についてくれるのが弁護士なんすよ。そこに相手の人格も罪の有無も関係ないんすよ、逮捕されて起訴された逆境真っ只中の人の孤独と絶望は犯罪者だろうがそうでなかろうが同じなんすよ。ここにあって希望を与えられるは弁護士のみ。これは完全にかっこいいでしょ。だってどっちがヒーローだよ? 

 

僕が刑事弁護をやるならこういうマインドでやるんじゃないかと思いますね。無理矢理にでも無罪にしてやろうという意味の弁護ではなく、まず被告人の基本的な権利と法廷で主張できる機会を確保する。その上で被告人の無罪や減刑に繋がる証拠・評価がないか考える。ここを超えたらマジ犯罪者になってしまうので、ここしか本気で守れるとこがないんですよね。

つまり逮捕から刑務所までの間にある唯一のストッパーが弁護士なんです。警察も検察もマスコミも世論もみんな有罪にしろ、罪が軽すぎる、とそっちの流れは強いけど、誰も反論せず抑制せず、極端な話 "犯罪者と疑われれば全員死刑" となったとして、それが本当に健全な社会かどうかは論を俟たないで塩?で塩?

 

 

おわりに

これは弁護士に限らず検察官からも、また刑務官や保護観察官などからもよく聞く言葉ですが、「一般人と犯罪者は紙一重で、自分がいつそっち側に行ってもおかしくない」と。僕が言うと薄いですけど、日々そういう人々に接している人は心底感じている事だと思います。多くの人が、自分が犯罪を犯すなんて絶対ありえないと思っていて、それが犯罪者を自分とは違う異質な人間として認識する土台となっている気がします。

でも犯罪を犯しちゃいけないって思考を獲得できる環境にいたのが既に恵まれてたから、運が良かったからってだけだと僕は考えます。産まれた時から親にボコボコにされてる子供がそのまま良い教育者に出逢えずに育ってガンジーが生まれるか?

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いやそうなるとやっぱりね、"罪を憎んで人を憎まず"ってのは至言だなぁと思いますよね。

言いたかったのはただそれだけかもしれないっす。

 

 

てなわけで読んでくれた方長々とあざした。

思考はまとまってると思って書き始めたけどやっぱ思考の文章化はむずい

てか期限明日の3,000字のレポート書かずに3,300字も書いたけどこれ貼り付けて提出したらあかんのかな…